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諏訪簡易裁判所 昭和31年(ろ)17号 判決

被告人 望月太一 外一名

主文

被告人等は無罪。

理由

一、本件公訴事実は、「被告人望月太一は東京都中央区京橋三丁目二番地の四に本店、岡谷市五千四十九番地に支店を置き、岡谷市五千四十九番地並びに同市上浜区に工場を夫々設けて、機械器具の製造販売外註文加工の業務を営むマルヤス産業株式会社の専務取締役兼両工場の工場長として、常時同会社の業務全般について執行の任に当つていたものであり、被告人飯田安夫は同会社の庶務課長兼安全管理者として同会社の人事、労務管理及び施設の安全管理事務等を扱つていたものであつて、何れも事業主のために行為をする使用者であつたものであるが、被告人等は昭和二十七年六月中旬頃、同会社の岡谷工場に於て、同会社上浜工場鋳造班に施設してある両頭研磨機の研磨盤の砥石車の覆を製作させ、これを右研磨盤に取付け十五吋砥石車と十二吋砥石車とに兼用させて来たが、右覆はこれを支持金具に径二分(約六粍)の六角ボルト二本によつて締付け、支持金具は径三分(約九粍)と径四分(約十二粍)の六角ボルト各一本宛により研磨機体に取付ける構造となつていて、砥石車の露出部は作業に必要な最小限度(労働省の指導要領によれば百二十五度とされている)に止め、その他の部分は覆をしなければならないのに露出部が百八十八度もあり、また支持金具に穿孔されている径9/16吋(約十四粍)の孔に対し径三分(約九粍)のボルトを取付ける時は約五粍の径差を生じボルトに動止もないためボルトは緩み易く、而も右覆が真円でなく右覆と支持金具の取付個所は覆が弧を描き彎曲をなしているのに対し支持金具は平面をなしているため、ボルトにより締付けても上下に間隙を生じて砥石車の心のフレによりがたつき易く且つ砥石車が右覆に触れるおそれがあつてその調整が困難であり、右覆の構造及び支持金具は粗雑且つ不完全であつて安全装置としての価値が少いので、点検の上安全堅固な覆と取替え整備をしなければならなかつたのに同三十年十一月二日まで放置し、以て使用者として、機械による危害を防止するために必要な措置を講じなかつたものである。」というのである。

二、被告人両名が昭和三十年十一月二日以前において、マルヤス産業株式会社上浜工場における労働者の安全に関する事項について同会社のために行為をする従業者であつたこと、同会社同工場に公訴事実のごとき両頭研磨機の設備があり、これによつて労働者に研磨作業をさせていたこと、昭和二十七年六月頃小口弘等の設計で右研磨機の砥石車の覆を製作し、以来十五吋砥石車と十二吋砥石車とに兼用して右の作業をさせてきたこと及び右覆の構造及び取付方法が公訴事実のとおりであることは、いずれも本件において取り調べた各証拠によつて明かである。

三、そこで本件の覆が砥石車による研磨作業に際しその破壊による危害を防止するに十分なものであつたか否か、さらに不十分なものであるとすれば被告人等に注意義務の懈怠があつたか否かについて考察する。

本件の覆を研磨機に取り付けた場合の砥石車の露出部の角度は全体で百八十八度以上もあることは本件の研磨機に対する当裁判所の検証調書(以下検証調書という)、寺内四郎作成の上申書及び鑑定人近藤誠治作成の鑑定書によつて認められるが、他方鑑定人倉藤尚雄、同近藤誠治作成の各鑑定書によると、仕事台より上方の露出部の角度は六十五度以内となるよう調整することが可能である。従つて、労働省労働基準局安全課編集にかかる「研磨盤の安全」と題する書面では全露出部の角度を百二十五度以内、仕事台の上方で研磨作業をする場合にはその角度を九十度以内に止めるべきものとされているのと対比すれば、本件の覆の露出部が広きに過ぎることが明瞭であるが、仕事台より上方の露出部の角度は右の「研磨盤の安全」の要求する六十五度以内の基準に合致するので問題は下方の露出部にあるわけである。下方が広く露出しているため危害の生ずる虞があるか否かについて考えてみると、一般論としてこれを肯定すべきことは鑑定人近藤誠治作成の鑑定書及び同証人に対する当裁判所の尋問調書によつて明かであるが、他方検証調書、鑑定人倉藤尚雄作成の鑑定書、同証人の当公廷における供述を綜合すると、本件研磨機の下方はコンクリート台の上に研削粉が厚く積り、作業者の位置すべき側の反対側には電動機の入つた箱があるため、破壊された砥石車の破片がこれにぶつかり作業者に危険を与える可能性は殆どないと認められるのである。また、押収にかかる覆(昭和三十一年証第四号の二)を見ると、側面は幅約五・五糎の幅で覆われているに過ぎないが、鑑定人倉藤尚雄作成の鑑定書のごとく実際上の危険は少いと認めるのが相当である。のみならず、かような露出部の角度や側面を覆う程度は極めて技術的な問題であるから、積極的な行政指導なくして被告人等に対し「研磨盤の安全」に掲げられているような完全さを期待することは困難というべきであり、しかも昭和三十年十一月二日以前にかかる行政指導のなされたことを認めるに足りる証拠のない以上、具体的な行政指導がなかつた旨の被告人等の当公廷における各供述及び被告人等作成の各上申書中の同旨の記載を信用する外ない。従つて、かかる観点から考えれば、右の点の不備については被告人等に責任を帰せしめることができないものといわなければならない。

次に、支持金具の孔とこれを研磨機に取り付けるボルトに公訴事実のごとき径差のあること及びボルトに動止の使用されていなかつたことは取り調べた各証拠によつて認めることができるが、検証調書、鑑定人倉藤尚雄作成の鑑定書及び同証人の当公廷における供述によると、右のような欠陥があつても、完全にボルトを締め付けておけば二十分程度の研磨作業中はボルトが緩まないものと認められ、この認定に反する各証拠は具体的な実験に基づかずに作成されたものであるから、いずれも採用することができない。覆が真円でなく且つ覆と支持金具との間に若干の間隙を生ずることは、押収にかかる覆(昭和三十一年証第四号の二)自体からみて明かであるが、検証調書、鑑定人倉藤尚雄、同近藤誠治作成の各鑑定書、同証人等に対する当裁判所の尋問調書によると、両者を結合するボルトとナツトを完全に締め付けておけば、その間隙は極めてわずかであり、しかも二十分程度の研磨作業ではがたつくことがないと認められ、反対の各証拠は前記と同一の理由で採用できない。検察官の釈明によると、覆が真円でないために、覆と砥石車との中心がくるい、覆ががたつき易い結果を生ずると共に調整が困難であるということになるが、加畑信一作成の鑑定書及び同証人の当公廷における供述を除くとこれに符合する証拠がなく、且つこの鑑定書の記載及び同人の供述は具体的な実験に基づく意見ではないため採用し得ないから、結局この点を認めるに足りる証拠がないことに帰する。かえつて、覆が砥石車に接触しないよう取付けることがさして困難でないこと及び調整はむしろ容易といえることは、鑑定人倉藤尚雄、同近藤誠治作成の各鑑定書、証人倉藤尚雄の当公廷における供述、同証人等に対する当裁判所の尋問調書によつて明かであり、これに反する加畑信一作成の鑑定書及び同証人の当公廷における供述は上記と同一の理由で採用することができない。以上の判断において作業時間を問題にした主な理由は、十五吋砥石車に本件の覆を取り付けて研磨作業をする場合が当事件の争点となつており、しかも右の場合の一回の作業時間が二十分以内であつたことが取り調べた各証拠によつて明白だからである。

上記の諸点の公訴事実を認めるに足りる証拠のない以上これを根拠とする他の公訴事実は証拠判断をするまでもなくすべて理由がないことになる。従つて本件公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法第三百三十六条を適用して被告人等に対し無罪の言渡をなすべきものである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 宮脇幸彦)

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